死んでないッ! 死んでないよッ!?
生きーているから辛いんだー。(@表参道まわりみち
英雄の話
いつぞや書いた『めでたしめでたし』の話。未だにずっと
考えてるんだけども。
例えば英雄譚の場合。
主人公が世界を救ったヒーローになった場合。
『わるい ドラゴンを たおした ゆうしゃは
えいゆうとして たたえられました
めでたし めでたし』 まあテンプレつーか、桃太郎とかそのへんの御伽噺ですらこの形で
終わるんだけども、個人的にこれが一番うそ寒く感じられてならない。
竜殺しの英雄が称えられることは絶対にない。
竜を殺せる勇者は、竜よりも強い力を持った『脅威』だから。
『長い長い死闘の果てに 勇者はついに敵を倒したのです』
『めでたし めでたし』
『――めでたし?』
『いやいやそんなはず無い 勇者はその後どうなったんだ?』
『もう勇者では無い 倒すべき敵のいない 彼のその後は――?』
(@高崎ゆうき『桜色シンドローム』) 解りやすい例を挙げるなら、アレだ。
一年戦争後にずっと軟禁されてたアムロ・レイとか。
史実で言えば源義経だって悲劇の英雄だし、アーサー王とかも
裏切りの結果死んでたりする。
地に平和を取り戻した英雄は、世界が平和になった瞬間から世界の異物と化す。
英雄として力を得る過程でどれほどの血を流そうが、どれだけ大事なものを
失っていようが、救われた大勢にとってはそんなもの関係ない。
高みへと昇っていくほどに孤立するのが英雄。
「結局共依存なんだよ。ヒーローのベルトは怪人が暴れ出すのを
いつだって待ってる」
(@高崎ゆうき『桜色シンドローム』) 最終的に誰よりも英雄を理解出来るのは、その英雄に殺される魔王だったりするわけだ。
英雄と魔王は紙一重。自分と唯一解り合えるかもしれない相手を
殺さなくてはならない。これも間違いなく殺し愛か。
もっと言えば、魔王は元・英雄だったとしても何ら不思議はない。
絢爛舞踏・速水厚志が魔王にも成り得るのはつまりそういうことだ。
てか、そういう点でガンパレード・マーチはかなりこの話に
うってつけの作品だったりするんだが。
最強の称号、絢爛舞踏を得た時の周囲の反応の哀しさといったらない。
守るべき力を突き詰めた結果、守るべき対象から畏怖される悲劇。
まあ、そういう風に世界の異物と化すからこそ絢爛舞踏は必ず失踪するんですが。
英雄は全てが終わったら流れ者になるか死ぬしかないのです。
その力は当たり前だったはずの自分の幸福を犠牲に得たものなのだから。
ガンダム00
あれ、誰も死ななかった?
てっきり私はセルゲイ大佐の銃撃からアレルヤを庇ってソーマ死亡
→アレルヤ激昂→大佐を殺した挙句アロウズ陣営に特攻、ぐらいの
鬱脚本になると予想してたんだが。
しかし……セルゲイ大佐は本当に『親』だなぁ。
変態じゃない軍人を久々に見た気がするのは何故だ。
今週のミスターブシドー。
行動不能になった刹っさんにとどめもささずに帰りましたよ。
何やってんの?
馬鹿なの? 死ぬの?
おまもりひまり
四巻。
くえす様デレ期。ハーレム密度さらに上昇。
しかしスチェッキンとは趣味の良い銃を使ってたな、くえす。
自分で選んだ銃かどうかは怪しいが。
時間ねぇっつーかストレス全開ですがド畜生。
またカラオケ行こうぜみんな!?(私信
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